暖炉、薪

 自分がその時感じていることに正直にやっていく、ましては嘘っぽいものなどは出来ない。黴音を経て2ヶ月後、展示というよりは、自分の部屋に招くような心持ちでいたい。部屋というのはよりパーソナルなもであると同時に-ー誰かを招く扉があるように--より開けた場所でもあると思う。自分だけの宝物があったり、何かを思い出す引き出しになっていたり。また、小さい頃、友達の家に行った時の匂いなどは未だ記憶の片隅にあったりする。部屋には大小様々な想いの物がある。それは消えずに残っている大事なものから、消えそうなちょっとだけいいものまで。

 展示が始まる。絵が置かれる。描きかけの絵も並ぶ。音楽を演奏する。ちょっといいものもそばに転がる。来るたびに会場の絵を動かしながら、そんなものたちと仲良くなる為の時間。場所が出来ていく過程。身の回りから繋がる小さな扉をみつめる時間。その漂う時間がここにはあるのです。

黴音

 時折合唱では、お互いがぴったりと響き合うと誰も出していないはずの高音が聞こえるそうで、これはしばしば「天使の声」と呼ばれている。この声の正体は「倍音」という音に隠れたある一定の周波数の音で、例えば一つ音にしてみても聞き取れないけれど幾つかの音が鳴っているのだそうだ。そんな音の中には「天使の声」もある一方、「ノイズ」と呼ばれる音域も存在する。隠れて見えない処にあるのは居心地のいいものだけではない。日常を顧みれば、ビニールの包装はすぐ捨ててしまう。臭い物には蓋をする。言えなかった言葉は心の中に残ってしまう。石の裏側にすぐそばに張り付いているような、そんな、どうしようもないものと丁寧に向き合うこと。受け入れること。この過程が制作となっていった。そして、例えばこれが合唱のように丁度響き合うとき『誰の声』が聞こえるだろうか、と想像してみる。

呼吸、精、尾、影

無二無二